20201年8月からいよいよ東京パラリンピックが開催されます!
中でも金メダル最有力候補として注目されているのが、T52クラスの車いす陸上の400m・1500mに出場する佐藤友祈(さとうともき)選手です。
佐藤さんは400m・800m・1500m・5000mの4競技における、世界記録保持者でもあります。
このページでは佐藤友祈さんが結婚していのかや、中学・高校からこれまでの経歴などを紹介していきます。
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佐藤友祈は結婚してる?嫁嫁の画像や子供はいるの?
まず最初に佐藤友祈さんが現在結婚して妻嫁や子供がいるのか。
結論から先にいうと佐藤さんはすでに結婚されており、2019年8月に一般の女性と入籍した報告をインスタに挙げています。
となりに映っている画像の女性が妻のようですが、優しそうな雰囲気のかわいらしい奥さんですね。
この2人の馴れ初めですが、佐藤友祈さんは2020年まで「グロップサンセリテ」という会社に勤める会社員でした。
このグロップサンセリテは、障害者の就労支援やデイサービスを行う会社。
そしてその親会社にテレビCMでも有名な「株式会社グロップ」という会社があり、佐藤さんの奥さんとなる人はそこで働いていました。
ちょくちょくと顔を合わせる内に会話をするようになり、同僚としての関係が3年ほど続きました。
そこから佐藤友祈さんが思い切って食事に誘い、それから数か月後に想いを告げて付き合うようになったとか。
そんな感じで彼氏・彼女として交際するようになったのが2018年の夏ごろなので、その1年後に晴れて結婚したことになります。
そして子供についてですが共働きで嫁も働いていること、佐藤さんが東京パラに集中するということで、2人の間にはまだ子供はいないようです。
こちらの夫婦仲はとても良く、またアスリートの妻として全面的なバックアップしているようです。
特に重要な食事に関して、カロリー計算された美味しい手料理を毎日作ってもらっているとか。
そんな献身的な支えもあり、佐藤友祈さんも自分だけではなく奥さんのためにも金メダルをとりたいと意気込んでいるようです。
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佐藤友祈の出身地と中学・高校はどこ?
佐藤友祈さんの出身地は静岡県藤枝市。
これは後述しますが、佐藤友祈さんが車いす生活を余儀なくされたのは20歳を超えてからのことで、学生時代は健常者として過ごしていました。
まず出身中学は「藤枝市立広幡中学校」ですね。
ちなみに部活は陸上部に所属しており、種目は中距離だったとのこと。
次に佐藤友祈さんの出身高校ですが、「静清工業高校(現静清高校)」です。
この高校の偏差値はおおよそ41で、静岡県の中でも低めの学校になります。
2022年からは男女共学になるようですが、佐藤友祈さんが通っていた当時からずっと男子校で、少し校風が荒れていたという噂もあります。
また静清工業高校を卒業した有名人としては、元プロ野球の斎藤達雄選手や宮川一彦選手、元プロボクサーの野村亮介選手などがいます。
ちなみに佐藤友祈さんの高校時代は陸上ではなく、キックボクシングのジムに通っていたそうです。
さらに父親がレスリングの国体選手だったようで、子供の頃からずっとレスリングも習っていたようですね、
中学時代の陸上経験は、間違いなく今の競技にもつながっているでしょう。
さらにキックボクシング、レスリングなどの格闘技をしていたことで、体幹やパラ陸上で重要な首の強さを手に入れたとか。
佐藤友祈さんの複数競技での世界記録達成は、このような経緯によってもたらされてきたことがよく分かりますね。
また高校卒業後は大学に進学せず、静岡県の水産加工会社に就職したとのことです。
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佐藤友祈の病名・病気の理由は?なぜ障害・車いす生活になったの?
上では佐藤友祈さんの中学・高校について述べました。
学生時代はスポーツに励んでいた健常者でしたが、車いす生活となったのは21歳のこと。
高校卒業後は大学に進学せず、静岡県内の水産加工会社に就職しますが半年で退社。
その後、役者を志して上京しミュージカルの世界の門を叩いたとのこと。
アルバイトをしながら夢を追っていた佐藤さんですが、たまに足腰に力が入らないようになることに気づきます。
佐藤友祈さんは子供の頃から体が丈夫で、少し休むとまた普通の状態になるので、特に通院するようなこともなかったとのこと。
ですが2010年の秋ごろ、突然意識を失い倒れてしまい、病院で目を覚ました時には両足が動かず左腕も麻痺状態になっていたのです。
それからは両親に連れられ静岡の実家に戻り、車いす生活を余儀なくされたのです。
その後、複数の病院に通うも病気の名前すら判明せず、両足・腕の障害の理由すら分からなかったようです。
それでも様々なクリニックに通い1年以上が経過した後に、ようやく佐藤友祈さんは「脊髄炎」という病気の診断を受けたとのことです。
この脊髄炎というのは感染症や免疫疾患などが原因となり、脊髄に炎症を起こしてしまう病気です。
脊髄は全身に指令を送る重要な神経系統であり、それが炎症してしまうことで手足の麻痺や感覚障害が発生するようです。
ずっと宙ぶらりん状態だったところに病名が判明したことで、新しいことに挑戦する意欲が駆り立てられた佐藤さん。
そして2012年ロンドンパラリンピックを動画サイトでたまたま見かけ、パラ陸上に強い興味を持ったようですね。
すぐさま競技のトレーニングを開始し、4年後のリオパラリンピックでは銀メダルを獲得しました。
また佐藤友祈さんは、2013年に脊髄炎での障碍者手帳を取得しています。
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佐藤友祈はグロップサンセリテを退社しモリサワとプロ契約へ!
佐藤友祈さんは以前まで正社員として働いていた、グロップサンセリテの実業団クラブ「WORLD-AC」に所属していました。
サラリーマンとしてフルタイムで仕事を行った後、午後17~18時ぐらいから「WORLD-AC」で練習を重ねる日々でした。
ですが2021年1月、勤務先だったグロップサンセリテを退社し、文字フォントメーカーの「モリサワ」とプロ契約を果たします。
東京パラリンピックが目前に迫ったタイミングでの出来事。
会社員としての安定した立場を捨て、アスリートとしてプロに転向しました。
この佐藤友祈さんの動きは、やはりパラ陸上界でも大きな波紋を呼びます。
ですが佐藤さん自身は前々からプロ選手になるために、所属先を探していたそうですね。
その話を聞きつけたモリサワが、佐藤さんの独立を支持して所属契約となったのです。
この転向の一番の大きな理由は、佐藤友祈さんが東京パラで金メダルを獲得するためにどうしても環境を変えたかったこと。
さらに自分がプロ選手になることで、「より多くの人がパラスポーツに注目するのではないか」という想いがあってのこと。
そしてモリサワのサポートの元、コーチ・トレーナーを含めたチームを結成。
チーム名の「prier ONE(プリエ・ワン)」という名前は、以前からお仕事で親交のあった元SMAPの香取慎吾さんが命名。
なにわともあれ、今までは会社員としての勤務後での活動だったものが、すべての時間を車いす陸上に使うことができます。
ぜひとも佐藤友祈さんが公言している、世界記録での金メダル獲得を実現してもらいたいものですね。
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佐藤友祈のwikiプロフィールとこれまでの経歴
それでは最後に佐藤友祈さんのwiki風プロフィールと、簡単なこれまでの経歴をみていきましょう。
・名前:佐藤友祈(さとうともき)
・生年月日:1989年9月8日
・年齢:31歳(2021年8月現在)
・身長:183cm
・体重:77kg
・出身地:静岡県藤枝市
・在住:岡山県岡山市
・趣味:囲碁
・所属先:モリサワ
佐藤友祈さんは、静岡県藤枝市出身の1989年生まれで現在31歳。
東京パラリンピックでは、車いす陸上の400mと1500mに出場。
2010年に脊髄炎によって両足・左腕の麻痺を発症し、車いす生活となります。
自分の運命を悲観し、自宅にて引きこもりのような生活をおくっていたが、たまたまロンドンパラリンピックを見たことでパラ陸上の世界へ。
その後、2012年12月に知り合いから競技用の車いすを借りレースに参加、タイムはごく平凡だったが、佐藤友祈さんは自分の才能に気づく。
それからはリオデジャネイロパラリンピックへの出場を目指し、2014年に車いす陸上で2大会連続出場している松永仁志さんの指導を受けるため、出身地の静岡から岡山県へ移住。
職業訓練校に通い、2015年に「グロップサンセリテ」という会社に入社し、車いす陸上の実業団チームに所属する。
そして2015年11月にドーハの世界選手権の400メートルで優勝し、リオデジャネイロパラリンピックに内定。
佐藤友祈さんは車いす陸上を始めて3年弱で、本当に夢を実現させました。
2016年9月のリオパラでは400m・1500mの2種目に出場し、どちらも銀メダルを獲得。
2018年7月のジャパンパラ陸上では400m(55秒13)、1500m(3分25秒08)の2種目優勝を果たし、世界記録を樹立。
さらに2019年1月のサマーダウンアンダー2019では、800m(1分51秒57)、5000m(12分27秒5)で世界記録を更新。
T52クラスの車いす陸上4種目で世界記録を保持している絶対王者です。
そして2019年11月の世界パラ陸上でも400m・1500mで金メダルを獲得し、東京パラリンピックの出場選手に内定。
2021年1月には5年間勤めたグロップサンセリテを退社し、モリサワと所属契約を結ぶプロ選手となりました。
佐藤友祈さんはリオではあと一歩というところでの銀メダルでしたから、今回の東京ではぜひともその雪上を果たしてもらいたいですね!