2022年2月に開催が迫っている北京オリンピックおいて、金メダルの大本命として期待が集まっている小林陵侑(こばやしりょうゆう)さん。
ノルディックスキー・男子ジャンプという花形競技で、絶対的な強さを誇る若きイケメンジャンパーです。
そんな小林陵侑さんですが、実は4兄弟で全員がスキー選手というのは知る人ぞ知る話。
兄は同じオリンピアン、姉は超美人のスキーヤー、弟は将来を嘱望されている天才なんですね。
このページでは、そんな小林陵侑さんの兄弟・両親など家族構成や、生い立ちも含めたこれまでの経歴をお届けします。
小林陵侑の兄弟・姉についての詳細情報
冒頭で述べたように、男子スキージャンプの日本代表エース、小林陵侑(こばやしりょうゆう)さんの家族について。
まず上で述べたように、兄・姉・弟という4兄弟なんですね。
・長男:小林潤志郎(こばやしじゅんしろう)
・長女:小林諭果(こばやしゆか)
・次男:小林陵侑(こばやしりょうゆう)
・三男:小林龍尚(こばやしたつなお)
順番的にはこんな感じになり、陵侑さんは3番目に生まれた次男になります。
それでは以下で、その他の兄弟について確認していきましょう。
長男(小林潤志郎)は弟と同様の五輪代表選手
まずは小林陵侑さんの兄、一家の長男である小林潤志郎(こばやしじゅんしろう)さん。
生年月日は1991年6月11日で、現在の年齢は30歳ですね。
この兄の潤志郎さんが両親を説得してスキーを始めたことが、4兄弟のすべてのはじまりでした。
父親の勧めで子供の頃からクロスカントリースキーをやっていましたが、本格的に取り組むきっかけは1998年の長野五輪。
スキージャンプ団体で金メダルを取った、原田雅彦選手や岡部孝信選手のジャンプを現地で見たことだそうです。
そして高校時代まではノルディック複合の選手でしたが、東海大学に進学後はジャンプに専念することになりました。
やはり天性の才能があったのか、小林潤志郎さんは競技転向後1年でスキージャンプWカップの日本代表に選出されます。
その後も、ユニバーシアード冬季大会・全日本スキー選手権などに出場し、コンスタントに成績を上げていく。
東海大学を卒業した後は、憧れだった原田さん・岡部さんが監督とコーチを務める、名門「雪印メグミルクスキー部」に所属。
2018年の平昌オリンピックには男子ジャンプの代表選手に選ばれ、弟の小林陵侑さんとの同時出場は世間で評判になります。
迎えた本番、日本の若きエースとして期待される小林潤志郎さんでしたが、個人ノーマルヒル31位・ラージヒルで24位という不本意な結果に。
2022年北京五輪にも内定し2大会連続の出場となる今回、弟と一緒に雪辱を果たすことに燃えているようですね。
長女(小林諭果)は家族想いの超美人スキー選手
次に小林陵侑さんの姉で、4兄弟の中で唯一の女性が小林諭果(こばやしゆか)さんです。
生年月日は1994年5月16日で、現在の年齢は27歳。
一目瞭然の超美人アスリートで、そのかわいいルックスと少し天然っぽい性格で、多くのスキーファンから支持を受けています。
また4兄弟の中でも特に家族想いな女性で、インスタでも度々兄弟との写真が上がっていますね。
そんな小林諭果さんがスキーを始めたのは小学4年生の頃で、やはり兄と弟が先にやっていたからという理由。
とはいえ小林諭果さんは高い所が苦手で、兄弟の応援専門という感じだったようですが、父親にしつこく説得をされて渋々始めることに。
当時はまだ女子ジャンパーの人口が少なかったことと、169cmという高身長を生かして盛岡中央高校時代から国際大会に出場。
大学は地元の岩手県を離れ、早稲田大学のスキー部へと入部。
スキー部の監督で、現在の日本のU-20コーチでもある一戸剛さんからの指導を受け才能が開花し、個人では2014年にスキーWカップに出場。
また2015年のユニバーシアードでは、兄の小林潤志郎さんと一緒に混合団体のメンバーに入り、見事金メダルを獲得します。
そして大学卒業後も東京に残り、2017年には「CHINTAIスキークラブ」に入社することに。
現在の小林陵侑さんは社会人として働きながら、トレーニングを続ける日々。
ですが2019年シーズンには強化指定選手からも外れ、20年に再び返り咲くもW杯メンバーからは選考外。
迎えた2021年もジャンプの女王・高梨沙羅選手をはじめとする強豪には力及ばず、北京五輪の代表を勝ち取ることはできませんでした。
当然悔しい気持ちはありながらも、北京五輪は家族である兄と弟を応援するとのこと。
三男(小林龍尚)は将来有望な天才ジャンパー
最後に小林陵侑さんの弟で末っ子の三男に当たるのが、小林龍尚(こばやしたつなお)さん。
生年月日は2001年8月10日で、現在の年齢は20歳です。
長男の潤志郎さんとは10歳差、長女の陵侑さんとは7歳差、次男の陵侑さんで5歳差。
兄弟・家族の中でも、1人だけかなり年が離れていますね。
そんな龍尚さんも兄・姉の影響を受け、小学校1年生からスキーを本格的にスタート。
上の3兄弟と同じ盛岡中央高校に進学すると、第68回全国高等学校スキー大会にて準優勝、第74回国民体育大会冬季大会でも準優勝。
高校時代にも将来有望な金の卵を取り上げる、フジテレビの「ミライモンスター」にも出演し話題に。
さらに2018年平昌五輪では、事前に風の状態等を確かめる「テストジャンパー」に抜擢。
そういう意味では、小林潤志郎・小林陵侑と並んでオリンピックの舞台に立ってことになりますね。
高校卒業後は大学に進学することなく、兄の小林陵侑さんと同じ土屋ホームスキー部に所蔵しています。
ジャンパーとしては、技術的には理論よりも感覚を重要視する天才肌。
土屋ホームの監督でスキー・ジャンプ競技のレジェンド葛西紀明さんからは、「陵侑より才能がある」と言わしめるほどのセンスの持ち主だとか。
とはいえ国内大会やジュニア選手権などで結果を出すものの、未だ世界的な成績を上げるまでには至っていません。
小林龍尚さん本人は昔から、ワールドチャンピオンで実の兄である小林陵侑さんを強く意識しているようですね。
「お兄ちゃんを倒すのは自分」と、常に豪語しているようです。
まだ20歳と若いですし、ポテンシャルの高さは間違いないので、今後日本ジャンプ界における注目株なのは間違いないでしょう。
小林陵侑さんの両親はどんな人?
上では、日本人男子初のスキーワールドカップ総合優勝者である小林陵侑(こばやしりょうゆう)さんの兄・姉・弟を紹介してきました。
長男・次男は2大会連続のオリンピック代表選手ですし、残る2人も世界が視野に入るレベルの競技者です。
ではそんな小林4兄弟を育て上げた、両親はどのような人なのでしょうか?
以下で紹介していきます。
父親(小林宏典)は元クロスカントリー選手の中学校教師
小林陵侑さんの父親は、小林宏典さんという名前で年齢は56~57歳。
職業は、地元・岩手県八幡平市の市立中学校で教師を務めています。
そしてこのお父さんこそが、スキージャンプ界の小林4兄弟に大きく影響を及ぼしている人なのですね。
というのもこの小林宏典さんは、北海道出身で元クロスカントリー選手だったのですね。
そして自分の子供も、クロスカントリーの選手として育てたいという気持ちがあったようです。
なので長男の小林潤志郎さんが生まれると、2~3歳ぐらいから実際にクロスカントリーをやらせていたようですね。
ですが潤志郎さんが小学生に入ったぐらいから、ジャンプに興味を持ちはじめたのですが、父親はそれを無視w
ですが先述のとおり、長男の小林潤志郎さんは長野五輪を生観戦し「ジャンプをやりたい」とお父さんに強く進言したのです。
その当時、小学校4年生の潤志郎さんのジャンプにかける熱い気持ちが、後ろの3人の将来にもつながるわけですね。
父の小林宏典さんは、その時にクロスカントリーの選手に育てることは諦めたようです。
小林家の実家は雪国・岩手県にありますので、まずは自宅の庭に雪で作ったお手製のジャンプ台で遊ばせることからはじめます。
そして週末・休日になると、ジャンプ台のある秋田県の花輪スキー場に家族で通い、本格的にトレーニングを行うことに。
父の小林宏典さん自身も、ジャンプ競技の技術・知識を深めるために、各指導者に会いに行ってかなり勉強をしたようですね。
その後、北海道や長野県で大会が開催されるたびに遠征するようになり、家族ぐるみでジャンプ競技の道を進むことになったのです。
また小林宏典さんは中学の教諭と述べましたが、地元スポーツ少年団の指導者でもあります。
特に田山中学校(現安代中学校)時代には、後にソチ五輪・平昌五輪に出場した永井秀明選手の指導を行っていた実績の持ち主なのです。
母親(小林智子)はアスリート家族を支える縁の下の力持ち!
小林陵侑さんの母親についてですが、お名前は小林智子さんで年齢は56~57歳。
画像はこちら。
長女の小林諭果さんは、かわいい雰囲気のあるお母さん似のような印象を受けました。
小林智子さんは父親と違い、競技者経験もない一般人のようですね。
なのでネット検索・SNS等調べましたが、詳細情報を見付けることができませんでした。
とはいえ4兄弟をスーパーアスリートに育て上げたのは、この母親の存在が大きいでしょう。
特にスクール代・ウェア等費用・食費・交通費など、ジャンプ競技はとにかくお金がかかるスポーツです。
それを4人の子供にさせてあげるというのは、費用の面でもかなりの負担があるのは事実です。
そこをなんとかやりくりしながら、さらに家事・子供の送り迎えなどを行っていたのでしょう。
おそらくですが、スポーツの技術・精神面は父親、生活面は母親というように両親で役割分担をしていたのだと推測します。
そんなお母さんの智子さんを喜ばせるためにも、陵侑さんは北京五輪で金メダルを獲得してもらいたいところですね。
小林陵侑の生い立ちや経歴・学歴などを紹介!
上では小林陵侑さんの兄弟と両親に関する情報を、ピックアップしてきました。
では当の本人である小林陵侑さんは、どのような背景で世界的なジャンパーとなったのでしょう?
以下では、小林陵侑さんの子供時代・生い立ち含めた経歴を取り上げていきます。
小林陵侑がスキーを始めたきっかけと小学生時代
小林陵侑さんは物心が付いた時から、スキーを始めていたとのこと。
自宅の庭にあるスロープを遊びのように滑ったり、最初はお兄ちゃんの小林潤志郎さんの見様見真似だったようです。
ですが幼稚園の年中に上がる頃には、20m級のジャンプ台で飛んでおり、その時から才能の片鱗をみせていたようですね。
小学生時代は野球もやっていたようですが、3年生になった時には本格的にジャンプのトレーニングをするようになりました。
そんな小林陵侑さんが飛躍するきっかけになったのが、地元の岩手県が主催している「いわてスーパーキッズ発掘・育成事業」。
これは小学校5年生~中学3年生の子供を対象に、オリンピックを目指せるアスリートを育成する事業とのこと。
小林陵侑さんはここで、レスリング・ラグビー・スピードスケートなど様々なスポーツを体験します。
ここでも陵侑さんはやはり特別な子供だったようで、同じプログラムを受けていた姉の諭果さんは、「陵侑は何をやっても上手だった」と述べています。
そしてこのプログラムを通じて、陵侑さんの持ち前の運動神経や、競技に必要なバランス感覚を養うことに成功。
さらにスキーの魅力を再確認することができ、後の活動に大きく影響を与えたようですね。
そんな感じで幼少期からスーパーキッズだった小林陵侑さんですが、同い年でもう一人凄い人物がいたのです。
それが現在も大活躍している、ジャンプの女王・高梨沙羅さんです。
この2人が誕生日1ヶ月違いの同年代というのも凄いことですよね。
そして小学生時代の小林陵侑さんは、女子の高梨沙羅さんにジャンプ競技では勝つことができなかったという話です。
小林陵侑の中学生時代(松尾中学校)
小学校時代から大物の予感を感じさせていた、小林陵侑さんですが中学は八幡平市立松尾中学校に進学します。
そしてこの中学生時代に精を出していたことが、後に世界チャンピオンとなる土台作りになっていたことは間違いありません。
というのも松尾中学校にもスキー部があったのですが、活動自体は冬になって雪が降り始めてからなんですね。
そこで雪のない夏場はサッカー部に所属し、足腰の強さや脚力を鍛えていきました。
小林陵侑さんは運動神経が良いいので、ポジションはFWで器用な選手だったとか。
さらにクロスカントリー競技にも取り組み、スキーができない時期は徹底して走り込みを行っていたそうです。
同じスキー競技でもクロスカントリーの板は細いので、バランス感覚を養うことができ、この経験はジャンプにも大いに好影響を与えたとか。
そして冬場になると、岩手県で唯一ジャンプ台を設置している「田山スキー場」に毎週末通ってジャンプに取り組みます。
中学時代の小林陵侑さんは、このようなトレーニングを朝・放課後~夕方にかけて毎日行っていました。
そんな小林陵侑さんですが、中学1年生の頃は寝坊で朝練を飛ばすこともあったとか。
ですが段々と選手としての自覚を持つようになり、自分で生活を見直すようになっていったようですね。
気が付けば朝・夕の2部練はもちろんのこと、自宅から中学まで10km以上ある道のりもバスを使わず毎日自転車で通うようになったのです。
その姿を知っている中学校の同級生がいうには、「あんな努力家は見たことがない」とのこと。
そのような日々を過ごした結果、小林陵侑さんが中学3年生の全国大会で、ジャンプだけでなくノルディック複合でも優勝。
全中での2冠制覇は史上2人しかいないとのことで、やはり同年代では向かうところ敵なし状態だったわけですね。
小林陵侑の高校生時代(盛岡中央高校)
松尾中学校を卒業した小林陵侑さんは、兄・姉と同じ地元の盛岡中央高等学校に入学。
高校時代もジャンプだけでなく、ノルディック複合も並行して続けています。
やはり中学時代同様、シーズンオフの季節はサッカーや陸上のトレーニングを行い、主に冬場に活動といった感じ。
特にこの時期に力を入れていたハードルの練習は、ジャンプで重要な踏み切りのタイミングに影響を与えているとか。
成績的には国体ではノルディック複合で2年連続で優勝、ジャンプでは2年連続で2位。
また高校3年生時には「宮様スキー大会」という国際大会にも出場し、ジャンプの少年の部で優勝を果たしています。
ただし高校時代の陵侑さんは、世界ジュニア選手権で優勝した兄の潤志郎さんほどの活躍はできなかったようですね。
そして高校卒業後の進路ですが、スキー競技だけに集中するため兄・姉とは違い大学進学はせず。
レジェンド・葛西紀明さんが監督を務める、名門実業団の「土屋ホーム」に入社することになります。
小林陵侑が土屋ホームに入社!日本人史上初のワールドカップ総合優勝へ
2015年4月、小林陵侑さんは「土屋ホーム」のスキー部に入社。
自分が最も得意とする、ジャンプ競技のみに専念することを決意する。
そして2016年からスキージャンプワールドカップに本格参戦することになり、デビュー戦では7位と好成績。
そして2018年には兄・小林潤志郎とともに、平昌五輪の代表選手に選ばれるのです。
当時の一般知名度はまだ低かったですが、ノーマルヒルで7位・ラージヒルで10位と、出場日本人選手の中では一番の結果を獲得。
さらに男子団体では、兄の潤志郎を押しのけてメンバー入りし6位という結果に。
21歳・チーム最年少で臨んだオリンピックデビューでしたが、緊張よりも「楽しかった」という本人の感想。
そしてこの経験は非常に大きく、2018年~2019年シーズンにおいて秘められた才能が一気に開花することになるのです。
まず2018年11月のワールドカップ初戦で3位(ポーランド・ヴィスワ大会)、そして2戦目で初優勝。(フィンランド・ルカ大会)
さらに2019年12月30日~2020年1月6日までの「ジャンプ週間」にて、歴史上3人目の全勝優勝を飾ります。
結果シーズン21戦13勝という驚異的な数字を残し、スキージャンプ・ワールドカップ総合優勝を果たします。
これは当然ながら日本人初ですし、さらにヨーロッパ勢以外の選手でも初の快挙!
世界情勢の影響で大会中止などが相次ぐ中、それ以降も世界王者に相応しい成績を残していきます。
2021年2月19日のルーマニア・ルシュノブ大会の優勝で、通算18勝の日本人最多優勝数を更新。
そして2021年~2022年シーズンには、「ジャンプ週間」で2度目の総合優勝を果たし、ワールドカップでは通算25目を飾りました。
もちろん北京五輪の男子スキー代表の絶対的エースであり、各種目で金メダル獲得が有力視されています。
小林陵侑と師匠・葛西紀明とのエピソード
ここまで小林陵侑(こばやしりょうゆう)さんの兄弟・両親など家族の情報と、これまでの経歴等を紹介してきました。
現在25歳という年齢ながら、日本人では圧倒的な記録と実力を誇っています。
ですが振り返ってみると中学・高校時代も確かにすごかったですが、ここまでの戦績を残せるような選手では到底ありませんでした。
その才能が劇的に花開いたのは、「土屋ホーム」に所属してからです。
中でも、チームの監督兼選手でもある葛西紀明さんとの出会いは特別でした。
なんせ葛西紀明さんといえばオリンピックに8大会連続出場し、現在49歳にして現役選手という生きる伝説です。
本人も葛西さんのことを「師匠」と呼び、「人生で一番影響を受けた人」といってますからね。
そもそも小林陵侑さんを土屋ホームに誘ったのは、葛西さんなんですね。
なんでも盛岡中央高校時代の陵侑さんのジャンプを見て、世界トップレベルで活躍しているジャンパーと飛び方が似ていると感じたとのこと。
葛西さんは一目見て逸材だと見抜き、自分が監督をしている実業団に来て欲しいとオファーをしたとのこと。
土屋ホームに入社以降、技術面・精神面の両方で葛西さんからは様々な助言をもらったとようですね。
特にジャンプにおける踏み切りに関する指導を2017年に受け、それ以降は明らかに遠くに飛べるようになったとか。
それが2018年~2019年シーズンの大ブレイクにつながるのです。
また先述のように2021年には、葛西さんが持つWカップ勝利数を抜く師匠越えを達成。
そんな偉業を成し遂げた弟子の姿を見て、「陵侑には負けない」と意気込む師匠。
師弟関係にありながらもライバルということで、この2人は本当に特別な関係だと思いますね。
そんな葛西紀明さんは北京五輪には残念ながら落選しましたが、その想いも含めて小林陵侑さんには輝いてもらいたいですよね。
小林陵侑に関するこのページのまとめ
以上、北京五輪でのノルディックスキー・男子ジャンプ日本代表選手、小林陵侑(こばやしりょうゆう)さんについて紹介してきました。
ページ内容を箇条書きで簡単にまとめると、
・小林陵侑は両親・兄・姉・弟の6人家族
・4兄弟は全員スキージャンプ競技の選手
・長男の小林潤志郎は、「雪印メグミルクスキー部」に所属する五輪代表選手
・長女の小林諭果は、「CHINTAIスキークラブ」に所属する、美人人気ジャンパー
・三男の小林龍尚は、兄と同様「土屋ホームスキー部」に所属の天才スキーヤー
・父親の小林宏典は元クロスカントリー選手で、中学校の教師を務めている
・母親の小林智子の詳細は不明だが、家族を支える良き理解者
・小林陵侑は幼稚園の時からジャンプ台で飛んでいた
・小学生時代は地元の育成プログラムで才能を伸ばす
・出身中学校は「松尾中学校」、3年生時には全中で2冠制覇!
・出身高校は「盛岡中央高校」で、国体で2年連続優勝
・高校卒業後は大学進学せず、「土屋ホーム」のスキー部に入社する
・土屋ホーム監督の葛西紀明から様々な助言を受け一気に飛躍する
・2018年に21歳で平昌五輪出場、日本選手の中で一番の好成績を残す
・2018年~2019年シーズンにスキージャンプワールドカップで総合優勝を果たす
・2018年の「ジャンプ週間」で全勝優勝、2021年に2度目の総合優勝
・2022年2月現在のワールドカップ勝利数は25回
以上のような感じになります。
なにわもとあれ小林陵侑さんは25歳という若さにして、日本人では前人未到の戦績を持つ世界的ジャンパーです。
本人の努力はもちろんですが、両親・兄弟といった家族と師匠を含めた良い環境があるからこそですね。
なにわともあれ今回の北京五輪でも、ノーマルヒル・ラージヒル・混合と各種目で金メダルの期待大です。
兄の小林潤志郎さんと一緒に、ぜひとも素晴らしい結果を残してもらいたいところですね。