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バチェラー4 黄皓/コウコウの大学・高校など学歴を解説!三菱商事への就職~退職の詳細も

誰もいない教室

2021年10月22日、4代目バチェラーが黄皓(コウコウ)さんであることが発表されました。

去年のバチェロレッテでの彼の活躍は記憶に新しいですし、欠点のない完璧な男ぶりは多くのファンから支持されましたね。

そしてバチェラーですが、その資格の1つとして「高学歴」であることが挙げられます。

ということで、ここでは黄皓さんがいつから日本で生活してるのかや、高校・大学など学歴について。

また卒業後の進路など、それぞれのエピソードを交えながら紹介していきたいと思います。


黄皓(コウコウ)の出身と来日するまで


画像引用元:Instagram

バチェラー4に出演中の黄皓(コウコウ)さんですが、まず出身は中国です。

具体的には、湖南省長沙市(こなんしょうちょうさし)という場所ですね。

そこで生まれ育つのですが、経済的な理由により両親2人は黄皓さんを祖父に預けて日本に出稼ぎに行ってしまいます。

これが黄皓さんが3歳の頃の話で、その間はおじいちゃん家に住むことになります。

ちなみにその当時住んでいた家は、かなりボロ目な集合住宅だったみたいですね。

そして黄皓さん親子ですが、完全に離れ離れになるということわけでもありません。

両親はまとまったお金が入った時には、黄皓さんを日本に呼んで数か月間一緒に住むという暮らしをしていたとのこと。

なので黄皓さんは親の仕事の都合で、小さい頃から中国と日本を行き来きするような生活をおくっていたわけですね。

しかも日本に滞在する数か月間は、日本の小学校に通っていることもあったとか。

そんな感じで、数か月間は日本の学校に入り、また中国に帰って地元の学校に出戻りするということを繰り返していたのだと思います。

このような生活は、黄皓さんが中学校に進学するときまで続いたそうですね。

黄皓(コウコウ)は中学校2年の時に日本に定住する

そして黄皓(コウコウ)さんが本格的に日本に定住することになったのは、中学2年生の時です。

年齢にして13歳~14歳のですが、ここから黄皓さんの日本での学歴・本格的な生活がスタートします。

最初に黄皓さんが入学・卒業した、日本の中学校の具体的な学校名は不明です。

ですがその当時は、父・母の3人で巣鴨のワンルームマンションに住んでいたのでその付近の中学で間違いないでしょう。

そして両親ともに日本の企業で働いていたので、この時の黄皓さんは完全に「ガギっ子」状態だったようですね。

小さい頃から何回も来日しているとはいえ、日本語もそこまで自信があるわけではありません。

思春期真っただ中で、慣れない土地で1人の時間が多い生活は、精神的にかなり苦しかったでしょうね。

また賃貸のワンルームマンションで暮らしていたことから、この当時の家庭の経済状況はまだ悪いまま。

実際に、ご両親はかなり切り詰めて生活をしていたようですね。

ですが自分たちの食事は1日1食に抑えたとしても、息子には1日3食しっかりと食べさせていました。

またそのような状況の中でも、息子の前では何1つ苦しい顔をしなかったご両親は本当にご立派ですよね。

そして黄皓さん自身もそんな両親の背中をシッカリと見て育ち、学校と日本語の勉強を一生懸命頑張ったとのことです。

黄皓は中学時代にいじめにあっていた!

いろんなメディアのインタビューにて、黄皓(こうこう)さんは学生時代にいじめにあっていたことを話しています。

それがこの中学2年~3年ぐらいにかけてのことなんですね。

この時の黄皓さんは、「山口」という通名を名乗っていたそうです。(*ちなみに当時のあだ名は「グッチ」とのこと)

さらに日本人として周囲とコミュニケーションを取れるレベルの、日本語の習得もできていたとのこと。

ですがまだこの当時は、かなり引っ込み思案な性だったようです。

また出身が湖南省長沙市の田舎の方だったこともあり、ファッションや見た目にも無頓着だったようですね。

なので学校の制服も、常にシャツはズボンにタックインし、ベルトの位置もハイウエスト。

また髪型も、前髪を下ろしたいわゆる「坊ちゃんカット」だったとか。

後のインタビューでも、「昔の自分はかなりダサかった」と本人がいってます。

輝かしい学歴を重ね、4代目バチェラーの現在の姿をみるとにわかに信じられません。

ただ黄皓(コウコウ)さんにも、そのような時代があったようです、

そんなこともあったので、周囲の生徒達から「ダサい」「キモい」「中国人」などいじめを受けることがあったとか。

そこで見た目のコンプレックスを改善するために、黄皓さんは生まれて初めて美容室に行ったのです。

そこで髪を短く切り、前髪を上げておでこを出すスタイルにしてもらったようです。

すると翌日、「グッチ、その髪型いいじゃん!」とクラスメイトに言われのですね。

顔のつくり自体はパーツが整っているイケメンなわけで、少し髪形を変えただけで周囲の反応がガラッと変わったのです。

それからは徐々にファッションの研究もするようになり、気が付いたらいじめはなくなっていたとのことです。

この経験によって、「自分が変われば周りも変わる」ということを実感。

これが現在の黄皓さんが手掛けている、「Human Produce Salon(ヒューマンプロデュースサロン)」事業を始めるきっかけになったそうですね。

黄皓(コウコウ)の高校時代について解説!

上では、黄皓(コウコウ)さんの来日~日本での中学時代までを紹介しました。

現在の4代目バチェラーとなった彼を見ると、この時に日本という国に溶け込む努力をしたことが大きいように思えます。

以下では、黄皓さんの高校時代を紹介していきます。

黄皓の出身高校は「私立錦城高等学校」

中学時代にしっかりと勉強し、高校の推薦入学を勝ち取った黄皓(こうこう)さん。

入学した高校は、東京都小平市にある「私立錦城高等学校」です。


画像引用元:kinjo-highschool.ed.jp

この錦城高校は、偏差値66~70という都内でもトップクラスの進学校。

卒業生の中には、

・所ジョージ(タレント)
・吉沢悠(俳優)
・松本孝弘(B’zギター、アーティスト)
・安藤一夫(俳優)
・山村宏太(バレボール選手)

などのような有名が存在します。

そしてこの錦城高校は、青春をおくるというよりは一流の学歴・大学進学のために勉強をするという感じの学校のようですね。

毎日のように小テストが実施され、生徒たちもとにかく学力を上げることが要求されるとのこと。

そして黄皓(こうこう)さんですが、この高校にはかなりギリギリの成績で入ったようですね。

ですが中学の担任の先生に、「今の学力では進学しても苦労する」と釘を刺されていたこともあり、本当に毎日一生懸命勉強していました。

そんな努力の甲斐あってか、学力テストでもトップクラスの成績を維持することができたようです。

また住まいも中学の時に住んでいた巣鴨のマンションを離れ、両親が購入した西東京のひばりヶ丘の家に引越しています。

高校時代の黄皓はすでに女性からモテ始めていた!


画像引用元:Instagram

「山口」という通名を使ってはいたものの、中学時代は周りと違って目立ってしまっていた黄皓(コウコウ)さん。

客観的にみた目がダサかったこともあり、イジメを受けていたことは上で述べました。

ですが周りに中国人が1人もいない環境にもう慣れてしまい、日本への適応にも拍車がかかります。

現在の黄皓さんの日本語はネイティブレベルですが、それはこの高校時代に完成されたようですね。

自然にコミュニケーションを取ることができるようになるので、当然日本人の友達も増えてきます。

さらに髪型や服装などお洒落のトレンドをしっかりと研究し、見た目を整えることにも余念がありませんでした。

また現在の身長は181cmですが、ちょうどにこの頃に身長が急激に伸びだします。

そんなこともあり、いわゆる「高校デビュー」に成功。

高校に入学した当初から女子に人気で、黄皓さんは学校内でもイケてる男子の中に入っていたようです。

後のインタビューでも、恋愛でのいざこざが少しあったものの、高校時代は基本的に楽しかったと答えています。

高校2年時に両親が帰国し1人暮らしをすることに

多くの友達に囲まれ、女子との恋愛なども楽しむようになっていた黄皓(コウコウ)さん。

ですが高校2年生の時に、大きな選択を迫られることになります。

というのも日本で働いていた両親が上海に貿易会社を設立し、中国に帰国することになったのです。

ここで両親と一緒に中国に帰るか、1人で日本に残るかの決断を求められました。

高校2年生にしてかなり難しい決断ですが、黄皓さんが出した答えは日本で1人暮らしをすること。

日本で両親が購入した3LDKのひばりが丘の家に、1人で住むこととなったのです。

もちろん一緒に中国に帰国する選択肢もあったのですが、決断の決め手となったのは実は女の子w

高校2年生当時の黄皓さんには、学校に好きな女の子がいたそうなんですね。

そしてその女の子と離れたくないという理由で、日本に残ることになったのです。

単純な理由ではありますが、その後の黄皓さんは日本の大学に進学・就職し、日本でビジネスを展開します。

人生に「もしも」はありませんが、ここで帰国していれば4代目バチェラーを務めることもなかったでしょうね。

黄皓(コウコウ)の出身大学は「早稲田大学 商学部」


画像引用元:minkou.jp

有名な進学校である錦城高校でも、上位の成績をキープしていた黄皓(コウコウ)さん。

特に英語と世界史は、全国模試でもトップレベルだったとか。

それでも5教科の勉強は厳しいので、私立に絞って早稲田大学と慶応大学を受験しました。

そして試験の結果、慶応大学へは補欠だったものの見事両方の大学に合格。

そこで黄皓さんが自分の最終学歴として選んだのは、早稲田大学の方です。

いわずと知れた日本では最高峰の私立大学で、しかも学部は「商学部」

早稲田商学部の偏差値は62.5~70.0なので、早稲田の中でもレベルの高い学部に位置します。

後のインタビューでも語っていますが、勉強に死に物狂いだった中学・高校と比べて、大学時代はかなり学業をおろそかにしていたそうです。

それでも黄皓さんは、早稲田大学商学部の中で一番歴史のある「坂野ゼミ」に入っています。

この「坂野ゼミ」は、様々な企業の成功と失敗の要因を分析・研究するゼミ。

現在複数の会社を経営する実業家です、このゼミで学んだことは起業する際にも役立っているのではないでしょうか・

早稲田大学時代の黄皓は陽キャで恐ろしくモテていた!

そして黄皓さんの大学生活ですが、「陽キャまっしぐら」だったとのこと。

高校時代に女子からかなり人気があったことは述べましたが、大学進学でさらにイケメンに磨きがかかります。


画像引用元:YouTube

取材でもその時の自分を振り返って、「無双していた」と語っています。

それぐらい早稲田時代の黄皓さんは、メチャクチャモテたみたいですね。

それをあらわす印象的なエピソードとしては、早稲田大学のサークル内でのアンケート。

なんでも「ひと夏の恋をしてみたい相手」というサークル生対象のアンケートが毎年あり、そこで殿堂入りしているそうですね。

というのも大学1回生~4回生まで、黄皓さんがぶっちぎりの1位だったそうです。

特に自分の方から何もしなくても、相手から「ご飯行こうよ」「付き合ってほしい」などのアプローチが絶えなかったとのこと。

その反面、自分が本当に好意を抱いていた女子に対しては、失恋することもあったようです。

そのことについて、「当時の自分は表面的な見せかけをよくしたハリボテ」で、本質を見透かす女子には通用しなかったと語っています。

このように恐ろしくモテた経験と、失恋で悔しい思いをした経験の両方が、後のバチェラーをつくることになったのでしょうね。

黄皓(コウコウ)は大学卒業後に三菱商事に入社!

黄皓(コウコウ)さんは、いつかは自分も父親と同じように起業したいと思ってはいました。

ですがここまで学歴を積み上げたことですし、大学卒業後の進路としてまずは日本の会社に就職することにします。

そこで早稲田大学卒業から退社するまでの、黄皓(コウコウ)さんのエピソードをいくつか紹介します。

黄皓の就職活動・三菱商事を選んだ理由

就活することにした黄皓(こうこう)さんですが、特にこれといってやりたいことや職種があったわけではありません。

なので具体的な進路・会社を選ぶ時には、

・女性からモテそうな職業
・たくさんお金が稼げる仕事
・凡庸性があってつぶしが効く職種

などのようなことを基準にして選んだと語っています。

会社選びの動機も、メチャクチャ不純ですよね。

ですがもともと、サラリーマンになること自体が起業前の決断の先送りぐらいにしか考えてなかったそうですね。

しかも各会社がなにをやっているのかも理解してない状態で、就職活動をはじめたそうです。

そして実際に黄皓さんがエントリーした会社は、

・三菱商事や三井物産など商社5社
・電通
・博報堂
・SMBC

8つだけだったとのこと。

どれもハイスペックで高収入、女性ウケも抜群の企業ばかり。

ですが高学歴イケメンかつ日本語を完璧に操れる中国人を武器に、就職活動もトントン拍子に進みます。

その結果、電通は最終面接、博報堂は筆記試験で落ちたものの、残りの会社からはすべて内定を取ったのです。

これだけみても黄皓さんの能力が、大学生時代から飛びぬけていることが分かりますね。

そしてその中から、「三菱商事」に入社することに決定します。

この理由も、「商社マン」という響きがかっこいいこと。

また三菱商事がその当時の商社の中で業界No.1だったから、「どうせなら1位の会社に入ろう」という考えからだそうです。

三菱商事での新入社員時代は合コン三昧だった!


画像引用元:Instagram

晴れて日本の超大手起業、三菱商事に入社することになった黄皓(コウコウ)さん。

やはり新入社員時代から目立った存在だったそうですね。

というのも黒スーツに青ネクタイという新卒同期の中で、初日から紺のブレザーにグレーのズボンで入社。

この理由については、兵隊みたいに同じ格好は嫌だし単純にカッコいいから。

そして入社1年目の黄皓さんですが、週に1回は飲み歩く生活だったとのこと。

そして多くの人が商社マンに抱くイメージである、合コン三昧の日々をおくっていたそうですね。

さらに黄皓さんは主催側に回ることが多く、開催した合コンは参加者からかなりの好評だったようです。

なんでも男女双方の意図や目的を事前に汲み取り、企画や人選などを綿密に立てていたとのこと。

だからこそ黄皓さんが主催した合コンで知り合い、その後に結婚している人は何人もいるそうです。


画像引用元:Instagram

そして三菱商事の会社内でも、「黄皓が開く合コンは面白い」「絶対に参加するべき」と評判だったとのこと。

そんな感じで新卒1年目は、仕事というよりもそれ以外の場所での活躍。

いわゆる「飲みにケーション」によって、先輩や上司からも一目置かれる存在になっていたとか。

このエピソードからも、黄皓さんが凡庸ではないことがよく分かりますよね。

そして現在の黄皓さんのコミュニケーション能力は、この時の合コンで培われたものが大きいと本人もいっています。

黄皓は三菱商事に入社後メキシコに駐在

三菱商事に入社した黄皓(こうこう)さんの配属先は、「金属資源グループ」でした。

そして入社2年目には、三菱商事と日商岩井の鋼鉄部門が独立してできた「メタルワン」という会社に出向。

そこで黄皓さんは、ステンレスなどの鋼鉄製品を主に担当していたそうです。

Apple社のリンゴマークのロゴはステンレスが使われているのですが、それを手掛け開拓したのは黄皓さんだったそうです、

そして業務に慣れ、仕事のマネジメントもできるようになった入社5年目、海外への駐在を自分から申し出ます。

というのもこのメタルワンという会社は、国内外に140の拠点があるグローバル企業なんですね。

環境を変えてドンドン挑戦をしていきたい黄皓さんの意識は、より外へと向けられていったのです。

そして実際に、黄皓さんが赴任する場所はメキシコに決定。

メキシコでは自動車部品の担当として、地元の日系企業とパートナーシップを組んで仕事をすることに。

ちなみにここで黄皓さんは、スペイン語の習得もしたそうですね。

ただビジネス自体は上手くいってるものの、赴任前に想像していたものとは違ったようですね。

毎日車で何時間も移動し、家に帰ったら体はクタクタで寝るだけの生活。

そんな仕事漬けの日々が3年間も続き、今後のキャリアの積み上げや、仕事漬けの生活に不満を持つようになったのですね。

そしてそのタイミングで、黄皓さんの父親が病に倒れたとの報告が入ります。

そこで悩んだあげく家業を継ぐために、8年間勤めた三菱商事を退職することとなったのです。

三菱商事を円満退社しその後も良好な関係

父親が設立した上海の貿易会社会社を継ぐため、会社を辞めることを決意した黄皓(コウコウ)さん。

三菱商事の中でもかなり優秀な社員だったようですが、退職を申し出た時に引き留められることはなかったそうですね。

というのも黄皓さんは入社前から、実家が商いをしていることを伝えていたこと。

また一生企業勤めのサラリーマンという思想の持ち主ではないことは、上司や同僚も理解していたようですね。

もちろん引き継ぎをしっかりと行ったことはいうまでもないですが、一切会社と揉めることもなく円満退職だったとのこと。

その証拠に黄皓さんは今でも、三菱商事の社員とは頻繁に連絡を取り合っているとか。

また黄皓さんはもし仮に自分がもう1度サラリーマンをやるとするなら、再び商社を選ぶと公言しているぐらい、前職には感謝しているようですね。

黄皓(コウコウ)の学歴や就職~退職に関するページのまとめ

以上、黄皓(コウコウ)さんの出身・卒業した高校や大学など学歴、また就職してサラリーマンになった後、退職するまでを紹介してきました。

最後にこのページの簡単なまとめを、紹介しておきます。

・両親の仕事の関係上、子供の時から日本と中国を行き来していた

・数か月間は日本の小学校に通うなどの生活をしていた

・中学校2年の時に日本に移り、定住することになる

・日本では通名で「山口」という苗字を名乗っていた

・見た目が周囲の生徒と違うことで、中学時代はいじめにあったことも

・それも髪型を少し変えるだけで、いじめはなくなった

・一生懸命勉強して進学校の「私立錦城高等学校」に入学する

・「高校デビュー」に成功し女性からモテるように!

・高校2年生の時に両親が中国に帰国し、日本で1人暮らしすることになる

・大学は早稲田大学商学部に入学、坂野ゼミに入っていた

・大学時代は学業を控えてリア充生活をおくり、「無双」といえるぐらい女性からモテていた

・高学歴と見た目の良さをウリに就職活動もトントン拍子に進む

・就職先はミーハーな動機から三菱商事に

・入社1年目は合コン三昧だったが、そこで評価を上げコミュ力も鍛えた

・三菱商事に8年間勤めあげた後、上海の家業を継ぐために会社を退職する

というような感じになります。

小さい頃は苦しい経験をしたこともあったようですが、蓋を開けてみると華麗なる学歴・経歴といったところでしょうか。

さすがは4代目バチェラーに選ばれるだけありますよね。

ですが生まれ持った資質や才能だけでなく、その瞬間に最大限の努力をしてのし上がってきたこともよく分かります。

そんなパーフェクトな男である黄皓さんが、今回選ぶ側になるバチェラー4ではどんな活躍をしてくれるのか、今から期待大ですね。